白い国の詩
2010初夏号

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  ◎東北七彩物語
東北の花火
 
●「長岡まつり大花火大会」のナイアガラ瀑布と正三尺玉。
尺玉(10号玉)を超える大玉花火は越後の花火師の得意とするもの(長岡まつり協議会写真提供)。
 
 
夜空を華やかに彩る夏の風物詩、花火。
そのルーツをたどれば火薬の発明を経て
さらには通信手段として使われていた「のろし」へと行きつく。
伊達政宗、徳川家康などの勇将が花火を見物し
庶民の間で鑑賞するようになったのは江戸の頃から。
時代を経た今、花火は地域ごとにそれぞれの特色を大切にしながら
その土地の文化や歴史、人々の思いを花火に込め夜空を彩る。
それは、現在も、いにしえの「のろし」と同じように
人と人の心を繋ぐ通信手段としての役割を担っているのだ。
自然とともに生き、平和を願う人と人の絆をのせて
今年の夏も、夜空に満開の花火の華が咲く。
 
世界一となった日本の花火の歴史
 
文◎長岡まつり協議会実行委員長 藤井 芳
 
 色の美しさ、形の良さ、花火玉の大きさ、打ち上げ技術の高さ、どれをとっても日本の花火は間違いなく世界一である。この世界一となった日本の花火は、いつ頃から打ち上げられてきたのだろうか。花火の歴史を少しひも解いてみよう。
 
 
◎天文12年(1543)
種子島にポルトガル船が漂着して鉄砲が日本に伝えられた。この時に、それまでわが国に知られてなかった火薬がもたらされる。
◎天正13年(1585)
『北条九代記』の中に「花火」という文字が記されている。この文献が日本で最も古い「花火」の記述とされている。
◎天正17年(1589)
伊達政宗が米沢城において花火見物を行う。
◎慶長18年(1613)
徳川家康が駿府城で外国人が行った花火を見物する。
◎元和9年(1623)
3代将軍徳川家光が花火を奨励。
 
 
 この頃の花火はどんな花火だったのだろうか。正徳2年(1712)に現在の百科事典にあたる『和漢三才図会』が刊行されているが、それによると「花火はのろしに変えることが出来る」との記述があり、のろしとして使われていたことが分かる。また「夏には河辺の遊興とする」とも記されており、観賞用にも利用されていたと思われる。その本に書かれた図を見ると、現在の花火とは違って玩具花火のような噴き出し花火を地上に置いたり、長い竹竿の先にくくり付けたりして火をつけ、そこから出る火の粉を見て楽しんでいたようである。
 
 
◎万治2年(1659)
大和国(奈良県)篠原村の弥兵衛が江戸に出て「鍵屋」の看板をあげる。
◎享保18年(1733)
8代将軍徳川吉宗が大飢饉と疫病の死者を弔う為、江戸両国で花火を上げる(両国の花火の発祥)。
◎文化5年(1808)
鍵屋の手代・清吉がのれん分けで「玉屋」を開業、玉屋市兵衛と名乗る。
 
 
花火師の心意気と技が、 現在に続く絢爛豪華な花火をつくった。
 
 江戸の華のひとつ、両国の花火とそれを支えた花火師、鍵屋と玉屋がこの時代に登場する。この頃には現在の花火に近い花火も打ち上げが行われていたようで、花火大会の時には舟や茶店が出て両国は大変な賑わいをみせた。
 
 江戸時代から明治・大正・昭和・平成と各時代の要請に応えた花火師の技術向上によって現在の世界一の花火が打ち上げられている。
 
 東北には全国的に有名な花火大会が数多く存在する。
 
 その中で私が見た東北の花火大会を紹介すると次のとおりである。
 
(以下、次ページまで藤井氏執筆)

 
 
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