白い国の詩
2008夏号

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●養蚕作業の様子を描いた養蚕図絵。米沢藩は文化3年(1806)に「養蚕手引」を領内に頒布し養蚕の奨励に努めた。瑞龍院のある地は養蚕業の中心地であった(山形県白鷹町瑞龍院蔵)。
 
●旧高畠駅。風情のある駅舎の前で記念撮影する姿もしばしば。
 

●懐かしい雰囲気の店構えは、高畠町、昭和縁結び通りの荒物店。
 

●昭和縁結び通りを立ち上げたメンバーの一人、手打ちそば伊澤の伊澤光明さん、まき子さん夫妻。まき子さんは東京オリンピックのショートトラック200mに出場した経歴をもつ。
 

「泣いた赤おに」など名作童話を書いた浜田広介は高畠町出身。「浜田広介記念館」の入口では、童話の世界で励まされたりしたファンたちが広介への思いを込めて送ってきた「ひろすけ小石」が来館者を迎える。
館長の安田志朗さんは浜田の童話作品の中で「ある島のきつね」が明るくて好きだと話す。広介の童話には「米沢の町に出かけて、おじいさんが買い物をして、ふろしき包みをしょいながら西街道を歩いてきました」など、地域の風景が蘇る一節が散りばめられている(西街道は米沢街道の脇街道にあたる)。
 

記念館に隣接した「広介生家」。
 


●赤湯温泉の足湯を楽しむ少女。足湯のある道は通学路でもある。「こんにちは」と挨拶をして颯爽と駆けていく子どもたち。素朴な姿に心も温かくなる。
 
●熊野大社の西に少し足を伸ばすと、夕鶴の里がある。「民話会ゆうづる」の語り部さんが懐かしい昔話を聴かせてくれる。この日は戸田節子さんの語りを聴かせてもらった。「むかし、あったけずまなぁ」と、ふるさと言葉で物語が始まる。
  歴史街道をあるく ◎米沢街道
 
古来、多くの道が米沢街道と呼ばれたが、
今回訪ねるのは、
米沢城下と最上を結ぶ街道。
古い歴史を持つ寺社が点在し、
藩主も庶民も憩い集った温泉場もある。
領内の人々にとってなじみ深い
往来の舞台だった。
◎山形県高畠〜赤湯を訪ねて

江戸期、米沢街道は 米沢城下から最上への往来で賑わった。
 
 江戸時代に上杉氏の城下町として栄えた米沢。その城下の北端から北東へ向かう道が米沢街道である。置賜から最上地方へ向かう道で、別名を最上街道という。藩主をはじめ、米沢藩の役人や諸国を検分する幕府巡見使が往来した、米沢藩領境の中山宿から上山へ入るまでのおよそ10里(39km)の道のりで、上山では東北地方の大動脈である羽州街道に合流する。途中には古社や古刹が点在し、温泉地で有名な赤湯が街道筋にあり、多くの庶民も行き交い賑わっていた。
 
 慶長3年(1598)秀吉の命で、戦国時代の英雄、米沢上杉氏の祖謙信の跡を継いだ景勝の時に越後から会津120万石で移封された。これに際し、重臣である直江兼続が米沢城に配された。景勝は関ヶ原の戦いで西軍に加勢したことにより、慶長6年(1601)30万石に減封。景勝が米沢藩主となり兼続執政のもと領内支配にあたった。
 
 三代藩主の急死の折には15万石に減封。八代藩主の時には凶作が重なり藩籍を返上しようとまで貧窮したが、それでも藩士の数は減らさず、信義の精神を通し凌いでいた藩に養子として来たのが米沢藩九代藩主、治憲(鷹山)である。
 
 治憲の改革は謙信や兼続らの精神を受け継ぎつつ、「大検約令」を発し、役人の贅沢や無駄を正すことから始まった。その後農政を改革し、教育を進め、産業を発展させ次々と特産物を生み出していった。例えば治憲は領民が安定した食生活が送れるよう細かな対策を立てている。病人や老人、子ども、妊婦に優先的に使わせた「五十集(いさば)屋」、つまり魚屋を常に確保したり、救荒食の手引書「かてもの」を医学者らに調査させて作らせたり、常に領民を慮った。
 
 そうして力を得た人々が生み出したものの中で、とくに織物業は置賜特産の青苧を原料とした縮織から養蚕・絹織物へと発展していった。 これら特産品をはじめ、漆、真綿、紅花などは京や大坂に運ばれていき、逆に塩などが運び込まれる流通路として、米沢街道はますます発展したのだった。
 
街道筋の名所へ〜高畠〜
 
 街道は、現在の国道13号線にほぼ沿っていて今も「道」の役割は続いている。米沢の地、街道筋の上杉神社に詣で上杉博物館を出発点に東北に進むと、陣屋町である糠野目、そして高畠に着く。日本三文殊のひとつとされる亀岡文殊の参道には、背の高い木々が整然と立ち並び、長い石段を登る参詣者を見守っている。
 
 本堂の傍らに小さな祠を見つけた。格子越しに覗くと丸い一抱えの木の塊。御供所を訪ねると「話が長くなってもええが?」と、温和な住職が気さくに応じてくださった。
 
 「昔はちゃんとお姿の大黒天でした。でもな、ある日、おこもりしている夜中に大黒様が遊びたい、遊びたいと泣いていたんでした。大黒様も若かったせいかのぅ。それで、住職が村人と一緒になって、ここの参道、200m位ありますが、転がして遊ばせたの。不思議なことに、坂を転がしても人にぶつからずよけていくから、誰一人怪我することもなくて、仁王門まで行くとぴったり停まって絶対外に出なかったの。そうして例祭のごとに転がしていって丸い形になったの」。
 
 こうしたいわれを記した立て看板がないところが、かえって良い。声と声が通い合い、歴史やいわれを知る喜び。心に刻まれるのは、いきいきとした、そんなひとときなのかもしれない。
 
●左/手前が亀岡文殊の鐘楼堂、奥が観音堂。
亀岡文殊堂には、直江兼続をはじめとした武将たちの「亀岡文殊堂奉納詩歌百首」が秘蔵されている。
●右上/知恵の文殊として親しまれている亀岡文殊堂には、地元の子どもたちが書いた書が貼られている。
●右下/石畳の参道。隅々まで手入れが行き届いた道は清々しい。

 
 
●左/亀岡文殊参道の途中で見かけた羅漢様の表情に、ほっとするひととき。
●中/文殊堂の裏に回ると知恵の水が飲める。ハスの花を模った受け皿に注ぐ知恵の水を飲んで、祈祷された「知恵の鉛筆」を購入し、効果に期待しよう。
●右/大黒天が安置された小さな祠には両手が差し込める穴が開いていて、尊像を抱き「軽くなり給え」と念ずれば次第に軽くなり、「重くなり給え」と念ずれば重くなり、また「願望達成」するときは軽く持ち上げられるという。試すのは少々怖いが、重さを覚悟してヨイショ。思いのほか軽かったのは「そうそう、気構えが大事なのです」と、教えを賜ったような気がした。 
 
 高畠町役場商工観光課の鈴木剛さんに街道付近のお勧めの場所を聞いた。「安久津八幡宮の三重塔はぜひ見ていただきたい景観です。他にも、地元の高畠石で造られた旧高畠駅舎の古い建物が残ってますし、昭和縁結び通りという懐かしい昭和の雰囲気を残した道筋もあります」。明るく爽やかな声に背中を押され道を急いだが、いろいろ巡っても半日あれば探索できる。
 
 昭和縁結び通りは昭和のノスタルジーを残そうと商店街の有志が空き店舗を利用して昭和ミニ資料館を随所に開設している。商店街全体が昭和をキーワードに郷愁を誘う雰囲気につくられていて、古い映画のポスターを所狭しと貼った喫茶店、年代物のレジスター、昔懐かしい看板などに囲まれる。
 
●左/安久津八幡宮は第十五代応神天皇を御祭神として奉斎。また、近在の小社を合併し十一柱の相座神を祀っている。
優美な三重塔は往時を偲ばせる佇まいで、歴史の中に身をおいた気持ちにさせる。安久津八幡神社の後方には安久津古墳群がある。
●右上/犬を祀っている社として全国でも珍しい、犬の宮。愛犬の健康と供養に訪れる人も多いという。
●右下/猫の宮。信心深い庄右衛門とおみね夫婦が観音菩薩から授かった「玉」という三毛猫を祀っている。
 
藩主から庶民まで癒した 街道の温泉〜赤湯〜
 
 高畠から赤湯に向かう。列車でいえば、高畠から赤湯までは一区間、街道を車で行ってもそう時間はかからない。
 
 赤湯温泉は上杉藩代々の殿様御用達の温泉地として、また藩公認の遊興の場として栄えた。治憲も治世の合間に米沢街道を下り、赤湯の里の湯で疲れを癒した。ご入湯は藩主在国の年に行われ、一行が米沢街道を通行するため、宿駅のほか、付近の村々から馬・人足など動員してとり行われたのだという。赤湯の地は、江戸の昔から街道とともにあった。今も各地から多くの人が訪れるが、地元の人も気軽に親しんでいる様子。源泉記念碑の傍らには飲泉所があり、16歳以上なら1日にコップ2杯飲用とある。足湯が併設され、近くに住むという親子が足を浸していた。古来から湧き出るお湯が人々を癒し続けている。
 
 赤湯の北西に、紀州熊野三山、碓氷峠の熊野神社とともに日本三熊野のひとつとされる熊野大社がある。9世紀初めに紀州熊野権現の御神霊を遷して再興したとの由緒をもち、南北朝中期頃から伊達氏の領地だったが江戸期に至り上杉の領地となった。歴史を映す茅葺き屋根の重厚な佇まいが、あたりの空気を引き締めているようである。
 
●熊野大社。茅葺き屋根の荘厳な社殿に圧倒される。米沢城の東北の方角にあたる鬼門の鎮守として歴代の領主に手厚く保護されてきた。社伝によると806年に平城天皇の勅命により再興されたとある。大祭は雅な時代絵巻を見るよう。ここ熊野大社と伊勢神宮だけに伝わる太々御神楽や大銀杏も圧巻。
 
 米沢街道は、赤湯の北側からさらに北東寄りに向きを変えて上山へと続いていた。

 赤湯の北側、置賜盆地が一望できる小高い烏帽子山に、古く中世からの縁起をもつ烏帽子山八幡宮がある。大きな石の鳥居が出迎えてくれた。生い茂る緑の中に立つ大鳥居を仰ぎ見れば、昔も今も変わらぬ空が歴史街道のある街を見守っていた。
 
●地元の人たちの憩いの場として親しまれている烏帽子山に登ると烏帽子山八幡宮がある。
烏帽子山八幡宮の大鳥居は、八幡宮裏山から切り出された凝灰石の神明造りで継ぎ目がないという。
右は、烏帽子山八幡宮の境内にある烏帽子石。大きな石を削り出して碑を形作った磨崖(まがい)碑である。碑面には梵字や造立年号が刻まれていた形跡があるが、摩滅しており判読は困難とされる。
 
 
 
illustrations:Taku Furuyama
text:Ryo Kazuki, photographs:Kenji Aizawa
 
 
 

 
 
 

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