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![]() ![]() ●生産者に配布される「収穫用カラースケール」。青どり用、赤どり用があり、辛さを計りながら収穫する。青ナンバでも色の濃いものはかなり辛い。 写真/在来津軽清水森ナンバブランド確立研究会提供。 ![]()
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写真/在来津軽清水森ナンバブランド確立研究会提供。 |
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青森県の弘前周辺で古くから栽培されてきた弘前在来トウガラシは、津軽藩の初代藩主・津軽為信が伏見から持ち帰って広めたとされる。大ぶりで肩が張った独特の形をしており、辛みはさほど強くなく、香りが良いなどの特徴がある。 この地方では、トウガラシのことを「ナンバン」あるいは「ナンバ」と呼んで親しみ、昭和30年頃の最盛期には約110haを作付けし、全国有数の産地として名を馳せた。しかし昭和40年代後半から、安価な輸入物が入るようになって激減。平成10年頃には20〜30a程度の作付けとなってしまった。 そして近年、この大切な地域の伝統を守ろうと、産学官が一体となって取り組み、新たな農産ブランド品として登場させたのが、弘前在来とうがらし「清水森ナンバ」である。 「いい伝えのとおり、弘前のトウガラシは、伏見トウガラシがルーツであることは間違いありません。京都の研究者は、清水森ナンバの方が、原型に近いようだとも言っています」と話すのは、トウガラシ博士こと、前・弘前大学農学生命科学部教授の嵯峨紘一さん。40年も前から弘前在来種を研究し、清水森ナンバ復活のきっかけをつくった人物だ。 平成16年春、嵯峨さんは県のふるさと産品に関する事業の一環として、トウガラシに関する講演を行った。弘前在来トウガラシはビタミンA、C、Eが豊富で、甘み成分が多く、風味が良く、さらに栄養嗜好の要素以外に抗酸化作用があるなど、優れた食材であるとの研究成果を発表。同時に他品種との交雑や、輸入トウガラシに押されて品種が途絶える可能性を指摘し、保護の必要性を訴えた。 これを聞いた人々は「当たり前に食べていたナンバが、そんなにいいものだったのか」と再認識。こうして同年夏、「在来津軽清水森ナンバブランド確立研究会」が発足した。 「津軽には古くからトウガラシの食文化が根付いています。昭和13年の東奥年鑑にも、郷土の食材としての記載がありますよ」と話すのは、同研究会の中村元彦会長だ。かつては市内土手町に清水森周辺の農家がナンバ売りとして並び、各戸にも行商がやってきた。家々では、生の青ナンバを焼いて御飯にのせたり、味噌汁の具にもする。赤ナンバは乾燥して薬味に使い、さらに葉の部分も漬物などにして、余すところなく生かしてきた。食用ばかりでなく、明治期の八甲田山雪中行軍はナンバを靴に入れ、保温材として使った記録もあるという。 トウガラシには、青トウガラシ、赤トウガラシがある。これは、同一植物にできる実なのだが、若く青い時期に収穫するか、熟して赤くなるまで待って収穫するかの違いだ。 清水森ナンバの栽培は、基本は一般のトウガラシと同様だ。4月上旬に播種して苗を育て、5月下旬に定植。この段階ですでにいくつか蕾が付いており、花が咲いた後1カ月ほど、6月下旬から青ナンバが収穫できる。花は次々と咲き、収穫は10月中旬ぐらいまで可能だ。一方、赤ナンバの場合は、7月末まで青ナンバを採り、以降は赤く色づくのを待って、8月中旬〜10月中旬に収穫する。 「在来津軽清水森ナンバブランド確立研究会」には、生産者、加工業者、飲食店、弘前大学、農協、市、県、県特産品センターなど、産官学のメンバーが参加。顧問に嵯峨さんを迎えて、遺伝子研究から生産、加工、販売まで、各部門が絶妙に連携しながら取り組んできた。「一つの産品に関し、ここまで大がかりな組織が活動するのは、全国でも例を見ないでしょう」と中村会長は語る。 注目したいのは、在来種を守るために、厳重なまでに生産管理を行っていることだ。まず種子は、清水森地区で在来種を守ってきた吉川兼作氏から譲り受けたものを元とし、農協が育苗。この苗をあらかじめ土壌診断を受けた生産者に分配して栽培する。生産者は栽培講習会に参加し、また巡回する指導員の指示を仰ぎながら栽培技術を高め、確実な伝統品種の収穫を目指すという具合だ。 「大変なのは、花殻を摘む手間と収穫の手間でしょうか。しゃがんだり、膝をつく姿勢もきついですね」と、会の実証圃での生産を担当する中田嘉博さん。ナンバの花は、次々と実を結んでいく。この時、しぼんだ花の殻が落ちずに実の先に残ることがあり、放置すると、そこから腐ってしまうのだという。「それでも、ナンバの実が、たわわに成る畑は素晴らしいですよ。食べても、香りがいいですしね」。 収穫された青ナンバは、生果として青森県特産品センターや同東京店、周辺の直売所などに並び、赤ナンバは研究会が買い上げ、粉末に加工して販売。また青ナンバの多くは、細かく刻んだしょうゆ漬けや、きのこ南蛮漬などの加工品になる。加工業者として会に参加する(有)ヤマトミ食品の小野貴志さんは、「ナンバを刻んで加工する方法は、昔からありました。今後は、大ぶりな清水森ナンバをそのままに生かした商品を開発していきたいですね」と話す。 「清水森ナンバ」として特許庁に出願していた商標登録は、すでに認可された。初年度が一農家でわずか100kg程度だった生産量も、4年目の平成19年には35農家で9,000kgをつくるまでこぎつけた。それでも、生果も加工品も、翌年の新物を待たずに売り切れてしまうのが現状だ。「増産はしたいですが、伝統品種の良さを確実に守っていくことが先決。焦らずじっくりと取り組んでいきます」と中村会長。今後は、増産ももちろんだが、販路拡大や新しい加工品の開発などが課題という。 今年になって、清水森ナンバは国の「農商工連携八八選」や「立ち上がる農山漁村」、弘前市の「第1回津軽遺産」に認定されるなど、ひときわ脚光を集めている。伝統野菜が見直される今、この古くて新しい郷土の産品は、強力なチームワークで飛躍しようとしている。 清水森ナンバ復活の一番の立役者となったのが、代々受け継いだ弘前在来トウガラシにこだわり、守り続けてきた、弘前市清水森地区の農業、吉川兼作さんだ。嵯峨さんの研究も、そもそも吉川さんのナンバとの出会いが大きな影響を与えた。また復活したブランド名の「清水森」は、吉川さんの功績に敬意を表し、居住する地区名を選んだという。 かつては全国に聞こえたナンバの一大生産地、弘前市。大正12年に生まれた吉川さんは、6歳の頃からナンバづくりを手伝い、兵役で6年間離れた以外は、ずっと畑を守ってきた。吉川さんによれば、昔、ナンバは広く津軽地方一帯でも栽培していたという。 「ナンバの育て方は親に習いました。いい種子を採ること、連作障害や霜に気をつけること。でも、まめに手をかければ、それだけいい実が採れますからね」と吉川さん。特に良質の種子の確保は、交雑を避けるため、周囲の畑の様子にも常に気を配ってきたという。 かつてのナンバ生産農家は、町で直売するばかりでなく、県外にまでも行商に出向いていた。 縄に編みこんだ赤ナンバや、粉末を枡で量り売りする光景も当たり前だった。ただ、干した赤ナンバを粉末にするのに、昔は石臼などを使い手作業で行なわれた。 「ナンバを触ったら必ず手を洗えって、家ではしょっちゅう言われたねえ」と吉川さん。それというのも、万一、微粉末が目や鼻に入ると、涙やくしゃみが止まらず、目も腫れて大変なことになる。近隣の地区には、「ナンバをつくっている家には、娘を嫁にやるな」との言い伝えもあったほどだ。 吉川さんは、今年85歳。今でも変わらず朝市に出向いてナンバを売っている。 「昔ながらのナンバがほしいと、わざわざ遠くから買いに来てくれるお客さんもいる。ありがたいことですね」。一時は後継者が減って心配だったが、新たな活路を見出した今では、つくる楽しみが大きくなって嬉しいと話していた。 text:Yumiko Naba, photographs: Yukihiko Sato
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