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![]() ![]() ●翁島港の観光船には、「はくちょう丸」と「かめ丸」がある。遊覧ルートは、約30分。湖中にただ一つの無人島、翁島を周回するコースになる。 ![]() ●光る湖面に水しぶきを上げながら疾走する姿が、シルエットとなって見えた。近年は、水上バイクやウェイクボードが増加。10代から40代を中心に楽しむ人が多いという。 ![]() ●会津歴史研究会副会長の熊倉光瑞さん。郷土史への関心が高く、猪苗代歴史研究会の幹事も務めている。 ![]() ●年代も古く貴重な書籍も多い、熊倉さんの蔵書。ページをめくっていくと、線が引かれ、書き込みがされ、読み込まれていることがわかる。 ![]() ![]() ●上/天神浜にあるからだろう「天神様」と呼ばれ、親しまれている小平潟天満宮。会津地方を代表する天満宮で、かつては松尾芭蕉が訪れ、猪苗代の出身である野口英世もよく参拝したという。 ●中/天満宮といえば、学問の神様、菅原道真を祀ったところ。合格祈願の絵馬が鈴なりになっていた。 ●下左/翁島港と湖南港を遊覧船が結ぶのは、年に一度。猪苗代レイクロードウオークのイベントの時だけになる。観光客にとっては、1時間のレイクビューになるが、地元でも乗船したことのある人は、かなり限られているだろう。ふだんの湖上は静かで、今から80年ほど前には湖上を行き来していた舟運をしのばせる名残はなにもない。変遷の早さには、目を見張るばかりだ。 ●下右/松林に囲まれた、ひっそりした天満宮。昭和の初めには猪苗代地方の人が大勢押し寄せたという話から、もっと豪壮な社殿を想像していたが、社殿そのものは意外にこぢんまりしていた。その代わり、境内の周辺は広々とした空地のようで、かつては露店などが並びにぎわったのだろうと想像する。 |
前日が雨だったせいか、ひたひたとした湖水が車道の近くに見えた。猪苗代湖の周りには、紫がかった山がぐるりと連なっている。丘陵のように低く見えるのは、湖そのものが高地にあるからだろう。ここは、標高514m。日本一標高の高い港、翁島港と湖南港がある。 休日とあって猪苗代湖の北岸にある翁島港には、遊覧船に乗る観光客が並んでいた。神奈川県川崎市から友人と来たという50代らしき女性は「磐梯山や裏磐梯を見ようと思って、初めて来ました。波がないし、山に囲まれているから景色が違う」と爽快そう。男性客も「景色がいいよね。エンヤートットって民謡を歌いたくなっちゃうね」と上機嫌で、はくちょう丸に乗り込んでいった。 湖上には、水上バイクを走らせている人も見える。本格的なシーズンはこれからと言うのは、翁島港マリーナの鈴木映さん。 「7月中旬から9月中旬までの週末が、最も混みます。利用される方は、県内と県外が半々。県外は東京以北がほとんどで、栃木の方が多いですね。ボートヤードにも、多い時は200隻を超えます。ボートで湖に出て景色の良いところで食事をしたり、クルージングパーティをしたり。それぞれの浜に別荘をお持ちの方もいらっしゃいますから」。 自然に触れながら、贅沢な気分を味わえる格好のレジャースポットになっている。海よりも湖に来るのは、波が穏やかで、晴れればほぼ出港でき、淡水で道具の手入れが楽というのもあるらしい。夏は湖水浴やキャンプを楽しむ人も多くなる。 会津歴史研究会副会長の熊倉光瑞さんも子どもの頃、よく湖に来た。 「遠浅だから危なくないと言われて、泳ぐのは川ではなく湖。夏は、一番の楽しみでした」。 その湖も、江戸時代は舟運が盛んで、湖岸には多くの港があった。熊倉さんは猪苗代町史の編纂事務局員だった昭和50年代に、地域の長老から話を聞いたことがある。 「長浜の先に昔は戸ノ口港があって、そこから湖南の方に舟で運んでいたんです。湖南には、明治まではずいぶん舟乗りがいたと聞いています。蒸気船で郵便物や人間を運んでいたんだそうです。その後、磐越西線ができ、湖岸の道路ができて、舟運は衰退しましたけどね」。 翁島港のある辺りを、地元では「長浜」と呼んでいる。そこから少し会津寄りにあたる戸ノ口に、かつて湖北で最も人のひしめく港があった。会津藩から戸ノ口まで陸路で廻米が送られ、そこから舟で湖南の港まで運ばれた。猪苗代地方から廻送された米は、年に8000俵に及んだという。 江戸時代には公用以外の湖上舟運は禁じられたが、明治になると自由化に。蒸気船が、湖南と湖北を1日5往復したこともあったらしい。湖上のにぎわいも、鉄道や道路の整備で昭和の前半には消えてしまった。 ただ、例外があったらしい。「ポンポン蒸気船は、天神様のお祭りにも出たんじゃなかったかな。サーカスまで来て、ずいぶん混んでいましたから」と熊倉さん。天神様とは、湖東にある日本三大天満宮の一つ、小平潟天満宮のこと。そのお祭りに船で行ったことがあると言うのは、湖南に住む70代の佐藤悦男さん。 「小さい時、天神様のお祭りに舟津から船で行ったことあんだ。漁船みたいなのに30人ぐらい乗れると思ったよ。その頃は、遊覧船なんてなかったから、金のある人が遊び半分で船を出したんだと思うんだ」。 舟津とは、猪苗代湖の南岸にある湖南港の辺りのこと。観光計画によって、昭和38年に港湾指定を受けた翁島港と湖南港は、地元では港という意識は薄く、「桟橋」と呼ばれている。たまたま天神様を見回りに来ていた警察官にも尋ねたが、港名で呼ぶことはないという。日々の生活で使われることのない港だからなのだろう。 すでに舟乗りはおらず、「越後あらし」と呼ばれる西風による水難事故が多かったことも、その安全祈願に金毘羅の石碑を湖岸に立てて拝んだことも、書籍に残るばかり。湖が弱酸性で大型の魚が棲みづらく、専業の漁業者がいないため、漁業信仰の少ないところが、かえって山上湖の港らしさでもある。 猪苗代湖に注ぐ舟津川でマセ漁をしている悦男さんも、漁をするのはウグイが産卵のため川に上ってくる5月から7月の間だけ。本業は運送業だったので、商売繁盛にちなんで年一回、恵比寿講の日に鯉を食べる。 鯉といえば、会津地方の郷土料理。海のない内陸では、貴重なタンパク源で高級品でもあった。湖北の熊倉さんの奥さんも、湖南の悦男さんの奥さんも「お産の後、おっぱいがよく出ると聞いて食べた」と言う。最近は、河口付近で鯉を見かけても捕る人はいない。今も変わらずに食されているのは、名物のウグイのほう。舟津川に目の粗いマセ垣を作り、遡上してくるウグイを投網で捕るのがマセ漁になる。この辺りでは、産卵の時期にお腹が赤くなるウグイのことを赤腹と呼んでいる。 「猪苗代湖の周辺で、赤腹が遡上するのは舟津川しかねえんだよ。うちの爺ちゃん(父親)が捕っていた頃は、5tぐらい捕って、組合を通して阿武隈川、久慈川、夏井川、阿賀川とか、福島県内の各漁協で放流してたんだ」。 それだけ捕れた赤腹も、最近は減ってきた。水の汚れや外来魚の影響だろうと悦男さんは考える。 「湖水が酸性から中性になってきてっから、水が汚くなってきてんだね。水が動かねぇで下さ沈んで、温暖化にもなってきてるから」。 湖岸から川沿いに入れば昔ながらの光景に見えたが、環境の変化と高齢化で、マセ漁をするのも今年から悦男さん一人になった。港の周辺も様子が少しずつ変わってきている。観光客には港名が知られるようになり、遠方からレジャー客が集まるようになったが、問題がないわけではない。車のエンジン音に、ゴミの放置。その裏側では地域の人たちが環境を守る活動に取り組んでいる。 翁島港と湖南港。地元では浜として親しまれてきたが、呼び名などに関係なく、ここが古くから暮らしの中で使われてきた故郷の湖岸であることに変わりはない。
text:Miki Otani, photographs:Kiyoshi Monden |
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