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●写真2/ある日「天文堂前原時計店」を訪ねて来た人がいた。その人は7尺5寸(約2.3m)の長さで、筒の太さが2寸4分(7.3cm)あり、倍率は100倍の「望遠鏡」を持って来た。 「望遠鏡」は鹿児島藩主の島津重豪が、オランダから買い入れたものだという。重豪の子の信順を八戸藩は養子に迎えた。その信順が持って来たのを、八戸藩で大事にしていた。前原家の家宝といえるもので、「図書館や博物館にあってもいいぐらいのもの」と曾孫の俊彦氏。 ●写真3/昭和25年頃の前原時計店。 ●写真4/「天文論文集─備忘諸録」。後に印刷され、初版・再版本が配布された。寅吉失明のため、町内に住んでいた上杉修氏(のち郷土史家)が口述筆記したものと思われる。
孫にあたる義一氏(俊彦氏の父)によれば、寅吉は「間をもたないとダメだ。時計のつくりは少し余裕がないと動かない。それと同じで、すべて間のとり方が大事なのだ」と言っていたそう。 |
文=鈴木喜代春 Kiyoharu Suzuki 1925年青森県生まれ。 児童文学者、日本児童文学者協会評議員、日本子どもの本研究会前会長。 青森師範学校卒業後、青森県・千葉県の教員生活を経て、小・中学校校長、松戸市教育研究所長等歴任。 主な作品に『十三湖のばば』『津軽の山歌物語』『野の天文学者 前原寅吉』『いのちの歌声…医師・岩渕謙一のたたかい…』など。 今から98年も前の明治43年(1910)。76年周期で太陽の軌道を回っているハレー彗星が、この年最も太陽の近くを通過するという。太陽とハレー彗星と地球が一直線に重なり、ハレー彗星の長いしっぽが、地球を包んでしまう。そのしっぽには、たくさんのシアンが含まれているという。この猛毒のシアンに地球は包まれてしまい、人間は死んでしまう─という噂が、日本だけでなく世界中にひろがっていた。そして噂は、噂を呼んだ。 「彗星と地球が衝突して、地球が砕けるそうだ」 「地球の空気が、ハレー彗星のしっぽに吹き飛ばされて、空気がなくなってしまうそうだ」 世界全体が、ハレー彗星の恐怖に包まれて大騒ぎになった。 こうして、いよいよハレー彗星が太陽の間を通過する5月19日を迎えた。国立天文台は勿論、八戸町(現在は市)の前原寅吉も、3台の望遠鏡を物干し台に据え付けて、ハレー彗星の観測に備えた。 ところがこの時、ハレー彗星の観測に成功したのは、時計店を営んでいた前原寅吉ただ一人だけだった。この時のことを、当時の新聞は次のように書いている。 「此一大好機を利用して、且独得の地位に在るよりして出来る限り、精密なる観測して、学界に貢献する所あらんとし、天文台総員総掛り、あらん限りの機械を盡して、朝来熱心に観測に従事して居る。東京帝国大学総長浜尾男爵も十一時に来台せられて観測に従ひ、台長理学博士の如きは早朝より諸員を督励して観測せられ、平素は諸種の計算等に従事しつつある助手等も観測を助け、五分十分毎に撮影しつつある。小使等の傭員も大奔し、人手がたらぬところから更に数人の人夫を傭ひ入れて、出来得る限り精密な調査をなさんと努めて居た」(明治43年〔1910〕5月20日東京朝日新聞)。 このように天文台が総力をあげて観測に当たったが、新聞は次のように報じている。 「観測の結果▽結局何の変化も見えず▽機械の不精巧が残念」(東京朝日新聞・明治43年5月20日)。 「殆ど変化無し。昨日のハレー彗星観測。太陽面現象分らず。過半は望遠鏡の不備」(東京日日新聞・明治43年5月20日)。 「満州日日新聞」では、 「青森県八戸町前原寅吉氏は、夙に天文の研究に趣味を有し(中略)十九日、ハリー彗星の太陽面通過の際は、自家の考案になる望遠鏡にて、明らかに観測するを得たり(中略)列国の天文台が観測に失敗し居れるに、独り個人たる氏が此大成果を収め得たるは独り氏の名誉なるのみならず日本学界の光栄なりと云うべし」と報じた。 「列国の天文台が観測に失敗し居れる」時、「独り個人たる」前原寅吉だけが「大成果を収め」成功したのだった。 「天文台」の「観測に失敗」したのは「望遠鏡の不備」といっているが、この時の天文台の望遠鏡は、8インチ。寅吉の望遠鏡は3インチだった。寅吉はこの時、自分が考案した「太陽面直接観望用眼鏡」を望遠鏡に取り付けていた。 ![]() 前原寅吉は、明治5年(1872)2月26日に、前原正明の三男として、青森県三戸郡八戸町に生まれた。父の正明は八戸藩の武士だった。寅吉の生まれる5年前、徳川幕府が倒れ年号は「明治」となった。「明治」の新しい世の中は激しく動いて、変わっていった。 明治11年(1878)、寅吉は城跡に建っている八戸小学校へ通い始めた。城跡には松や杉や桜の木があり、林となっている。寅吉も皆と一緒に木にのぼったり、虫を探したりして遊んだ。 寅吉たちを教える伊藤先生は、城跡の崖に行くと、子どもたちを一列にならべて、眼下に広がる風景をしばらく見せ、そして尋ねた。 「秋を見つけた人?」。 みんなは、手をあげて「稲刈り」「柿」「菊の花」「落ち葉」「ひえ刈り」などと答える。 次に「目に見えない秋を見た人」と尋ねた。まっさきに手をあげて寅吉が答えた。 「風、秋の風、目に見えない秋は、秋の風だ」。 このように「自然」を捉える寅吉の目と心は、鋭く、輝いていた。 少年寅吉はまた、「時計」に惹きつけられる。朔日町を歩いて帰る寅吉の目に飛び込んできた1軒の時計店。寅吉はガラス戸に顔をつけ、振子を振って休みなしに動いている時計を見た。 (どうして時計の振子は、止まらないで、いつまでも動いているのだろう) (どうして時計の針は、休まないで回るのだろう) (どうして、1時間だの、2時間だのと、時計はわかるのだろうか) 次から次と、疑問が沸いてくる。こうして寅吉は、時々時計店のガラス戸に顔をつけて、時計を見ていた。 小学校の中等科へ進んだ寅吉は、ますます雲や星を見つめる子どもになっていった。屋根に昇ってじっと月を見る。雲が流れて月を隠してしまった。 (昼間は、あの月は、どうしているのだろう) (どうして地球は、落ちていかないのだろう) 寅吉は考える。そして考えたことを「天文日誌」に書き留める。こうして寅吉の「天文日誌」は始まった。先生も寅吉を応援して「天文」に関する図書を買ってくれるようになった。 寅吉は「天文日誌」に「金星ニ行ク、車ト船」を描いた。その絵には「空中自用車」「水中自働船」と書かれている。 寅吉の「天文日誌」は、なおも書き続けられていく。 ○十二月六日 午後七時 大熊座と 小熊座 北の地平線に見える プロキオン 一等星 北の空に光る 天の川の 東 ○二月六日 午後七時 南の空の西 アンドロメダ ○三月七日 午後九時 東の空 うみへび座 天の川と並ぶ |
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