左から、宮古地方振興局の中居 哲弥(なかい てつや)氏、宮古市役所の佐藤 日出海(さとう ひでみ)氏、(株)エフビー社長・田鎖 巌(たぐさり いわお)氏、宮古・下閉伊モノづくりネットワーク産業支援コーディネーターの安藤 充(あんどう みつる)氏
岩手県三陸沿岸部に位置する宮古市。リアス式海岸で知られる本州最東端の街で人口約6万人を有する。約700平方キロメートルの面積のうち可住地面積はおよそ10%の70平方キロメートル。また、東京からの時間距離でいうと、5時間を要する土地だという。飛行機を利用するとサハリンまで移動できる時間だ。この「陸の孤島」のような場所に、不利な地理的条件を克服して国内有数のコネクター関連産業がなぜ集積し、なおも成長を遂げているのか、その理由をリポートする。
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太平洋岸に位置する宮古市は、世界三大漁場である三陸沖合い有数の港町として、江戸時代から水産加工業を主産業として発展。近代以降は国策に追従した重工業に後押しされる形で19世紀末から隆盛を見せたが、戦災により中断。戦後復興まで停滞を余儀なくされたが、宮古港に木材港としての機能が付加されたことにより1967年からは合板産業が集積し、東北3位の木材輸入港となった。
宮古地域がコネクター産業の集積地として発展するきっかけとなったのは、専業メーカー、ヒロセ電機の進出にある。ヒロセ電機は1974年に東北ヒロセ電機を宮古市に設立し、部品に関して徹底した外注化政策をとった。このため、首都圏から中小の部品加工業者が進出し、さらには地元事業者による創業も相次ぎ、ヒロセ電機を基点とするコネクター関連企業の輪が広がっていった。
現在、宮古市のコネクター関連企業は30社、地元雇用による就業者は約1,200人を数える。コネクターは、家電製品、自動車を含め、数え切れない電化製品に使われる。最近では、携帯電話やパソコンの隆盛によって、需要の伸びもめざましい。この状況下、東京、大阪に次いで、岩手県は全国第3位のコネクター出荷額を誇る。その7割を製造しているのが宮古地域だ。
宮古地域で隆盛を見せる微細金型組立の様子
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宮古市が工業振興の取り組みをスタートさせたのは1998年7月の「宮古市工業振興ビジョン」策定に遡る。当時、宮古市自体には、工業振興のための予算も方向性も明確ではなく、まさにゼロからのスタートだったという。当時宮古市をはじめて訪れた関満博氏(現・一橋大学大学院商学研究科教授)は、優れた人材の育成こそ重要であると説き、「人材立地の時代」を提唱した。
時を同じくして、地元企業の中からも傑出したキーマンが現れた。株式会社エフビーの社長であり、宮古・下閉伊モノづくりネットワーク工業部会長、宮古金型研究会長も務める田鎖巖氏と安藤充氏の2人だ。
田鎖社長は地元で製造業を営むモノづくりの職人。一方、秋田県出身の安藤氏は、1995年に沖電気の社員として宮古に赴任してから、海と山のあるこの地の環境に心酔し、骨を埋める覚悟で仕事に取り組んできた。2人はいわば仕事上のライバル同士だったが、「とにかく宮古のためになることをする」という共通の志があった。2002年、安藤氏は退職後、みやこ就業・産業支援センターの産業支援コーディネーターとして手腕を振るうことになる。この2人の強い絆により、地理的不利を逆手にとった「地域産業を支える優れた人材育成こそが永続的な産業形成に不可欠」という理念の実証が始まる。
宮古市に隣接する山田町に建つ、(株)エフビーの社屋
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田鎖社長と安藤氏は、市役所に赴き「我々企業が主導で人材育成を進める。だから宮古市でその仕組みを作ってほしい」と交渉した。その後ここに岩手県(宮古地方振興局)が加わり、宮古の産業を支えるための人づくりネットワークが大きく広がりを見せはじめた。
企業が費用を負担し、仕組みを行政が作る――。2003年11月、現場ニーズに即した企業主導の人材育成組織「宮古・下閉伊モノづくりが出来る人づくり 寺子屋」が設立され、塾長には田鎖社長が、コーディネーターには安藤氏が就任した。
田鎖社長は語る。「地域の将来を考えたとき、地域にモノづくりが出来る人材を多く育てることが必要だ。最先端の機械でも使う人によって結果が異なる。その性能を引き出せるいい人材がいないと、モノづくりはうまくいかない」。
地元企業が現場で抱える課題をもとに人材育成プログラムをつくり、時間をかけて、じっくりと人材を育てていくことを理念とする寺子屋のカリキュラム・講師陣は、田鎖塾長と安藤コーディネーターが決め運営されている。また、講義は、技術力向上だけではなく、“何のために働くのか?” “幸せとは?”という生き方、考え方から、法律や保健衛生、行政との関わりなど多岐にわたる内容だ。田鎖社長は、「考え方を教えることが大事で、そうすればノウハウは自分で学ぶようになる」という。また、「あいさつがきちんとできる、年上の人を敬う。そういった当たり前のことができる人が前提」とも語る。
寺子屋のスタートから4年、参加企業からは「講座を終えて帰ってきた社員たちは、楽しそうに仕事をしている」、「顔つきが変わった」と評価されている。 2007年1月現在、第7期が修了し、その卒業生は延べ232人にも及ぶ。毎回定員の30名を超える受講者があり、今では順番待ちの状況だという。また、宮古市の就職定着率は高い水準にある。そこに、自信と目的、技術を身につけた若者たちの姿が読みとれる。
寺子屋の研修風景。田鎖塾長の講話から始まる。
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地理的なハンディがあっても、優れた技術があれば需要はある。地元・宮古から世界に通用する製品を発信することにこだわる。基礎をしっかり固め、技術者それぞれの感性と創造性を仕事に生かす。こうした考え方は、モノづくりを通じた人づくりを進める中で実践・浸透し、地域の発展への原動力を生み出している。
宮古市産業振興部商工課産業活性化推進室長、佐藤日出海さんはこう解説する。「宮古市は元来、“資源は人材のみ”という状況でした。この人材を求めて立地した進出企業、地元企業の創業が相次ぎ、これまでになかった産業集積へと活性化されたのです。そのことを関先生は指摘され『人材立地』と呼んだのでしょう」。
この一連の活動は、国の「2005年版ものづくり白書」に「宮古モデル」として紹介され、全国から視察も相次ぎ、コネクター・金型技術集積地として注目を集めている。こうして育った人を求めて、さらに最先端の技術が集まる。今後も、国際競争力を持つため、さらに微細金型と微細加工を得意とする産業集積を加速させていくことだろう。
「宮古・下閉伊モノづくりが出来る人づくり 寺子屋」のキーマン四人衆
*2007年1月 取材
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