◎現地からのメッセージ

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やじるし

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活動方針やこれまでの経緯について話す釜援隊マネージャーの中村博充さん(右)と、釜援隊の設計から携わっているRFC復興支援チームの山口里美さん(左)

活動方針やこれまでの経緯について話す釜援隊マネージャーの中村博充さん(右)と、釜援隊の設計から携わっているRFC復興支援チームの山口里美さん(左)

個性豊かな隊員が釜石の「潤滑油」に

  • 釜石リージョナルコーディネーター 通称:釜援隊(かまえんたい)
  • マネージャー 中村 博充(なかむら・ひろみつ)氏
  • 隊員 黍原 豊(きびはら・ゆたか)氏
  • 隊員 前川 智克(まえかわ・ともかつ)氏
  • 一般社団法人 RFC復興支援チーム
  • 復興コーディネーター
  • 山口 里美(やまぐち・さとみ)氏

それぞれが培ってきたキャリアや個性を活かし、釜石市の復興を支援する集団がいる。13名からなる「釜石リージョナルコーディネーター」、通称「釜援隊」だ。震災から立ち直ろうと奮闘する市内のNPOや団体をサポートしながら、その過程でキャッチするさまざまな情報を共有することで、より効果的な施策や戦略を模索している。行政と市民、市内と市外などを結ぶ潤滑油のような役割を担う釜援隊の可能性に迫る。

異なる個性をもつフリーランス集団

個性豊かな釜援隊の面々。2013年4月に第一期生7名が、同年8月に第二期生6名が加わり、総勢13名で釜石の復興に力を尽くす

個性豊かな釜援隊の面々。2013年4月に第一期生7名が、同年8月に第二期生6名が加わり、総勢13名で釜石の復興に力を尽くす

「釜援隊」というユニークな名前で活動する「釜石リージョナルコーディネーター」は、市民やNPO、自治体など立場の異なる人たちが一丸となって復興まちづくりを行なうためのつなぎ手である。総務省の「復興支援員制度」を利用し、2013年4月に第一期生7名が活動をスタート。同年8月に第二期生6名が加わり13名となった。最年少は25歳、最年長は51歳。銀行マン、商社勤務、一級建築士の自営業など、年齢もキャリアも実にさまざまだ。

釜援隊が結成されたきっかけは、釜石市の唐丹(とうに)地区で2012年6月から数カ月間行なわれたコーディネーター派遣事業だった。東京で復興のための調査を行なう「一般社団法人RFC復興支援チーム」(以下、RFC)が3名のコーディネーターを派遣。唐丹地区に常駐し、草刈りやラジオ体操、イベントの手伝いなどを文字通り地域密着で行なう中で徐々に住民との信頼関係を築き、丹念に拾い集めた住民の声を市役所にフィードバックした。どのようなニーズがあって、何が足りないのか、そのためにどうすべきかを提言するパイプ役となった。その実績が認められて、釜援隊は結成された。

被災地支援プロジェクトの原型とも言えるこの事業に携わったRFCの復興コーディネーター、山口里美さんは「ある程度ハードが整ったあとは、ソフト面がより重要になります。そこで復興支援員制度を利用した『人的支援』をイメージして組織したのです」と振り返る。唐丹地区の取り組みを、市全域に展開するために結成されたのが釜援隊だ。

隊員は市内のNPOや団体に派遣されるものの、そこの専従員となるわけではない。ここが興味深い点で、隊員は「釜石リージョナルコーディネーター協議会」と業務委託契約を結び、協議会から報酬を受け取る個人事業主。いわばどこにも属さないフリーランスの集団だ。

その狙いについて、釜援隊のマネージャーを務める中村博充さんは「さまざまな団体や市民を自治体と結びつけることが釜援隊の役割ですが、特定の団体に属すると、まち全体の復興支援に携わりにくくなりがちです。活動で得た情報を共有するために『釜援隊というチームで動く』体制をとっているのです」と語る。復興支援員は他の被災地にもあるが、その多くは団体に属しているため、このしくみは釜援隊独特のものと言える。

交わりはじめた「山」と「海」

「三陸ひとつなぎ自然学校」をサポートする釜援隊の黍原豊さん。「山と海をつなぐことによって、新たな可能性が生まれた」と語る

「三陸ひとつなぎ自然学校」をサポートする釜援隊の黍原豊さん。「山と海をつなぐことによって、新たな可能性が生まれた」と語る

実は、釜援隊13名のうち3名は釜援隊のマネジメントに専念するため、どの団体にも属してない。中村さんもその1人だが、マネージャーは隊員が個々に集めた地域の情報を共有し、それに基づく提言や取り組みを進めるための調整役だ。かといって、隊員の間に企業のような上下関係があるわけではない。あくまでもフラットな組織だ。

この関係性は、化学反応を起こしつつある。さまざまなキャリアをもった人間が集まったからこそ、生まれるものも多い。三陸沿岸部の人や自然に触れるエコツアー、子どもたちの居場所づくり、ボランティアの受け入れなどを行なう「三陸ひとつなぎ自然学校」をサポートする隊員の黍原豊さんは「この組織はすごくおもしろいです」と目を輝かせる。

「お互いの個性が混ざり合う、というシーンはよくあります。たとえば会社を経営していた隊員は、ミーティングでみんなとは異なる視点を与えてくれます。なるほどと思うことも多いんです。地域づくりは多面的なものなので、1人ですべてを受け持つのは難しい。ですからこれだけ多彩な人がいるのはいいなと思います」と黍原さん。

それぞれの団体をサポートしつつ、隊員が情報を共有することで生まれた新たなプロジェクトが進行中だ。その舞台は市内を流れる二級河川・鵜住居(うのすまい)川流域で活動する、山間部の「三陸ひとつなぎ自然学校」、下流部の「鵜住居地区復興まちづくり協議会」、河口部の「釜石東部漁協管内復興市民会議」等の団体が所属している「釜石うみやま連携交流推進協議会」(以下、うみやま連携協議会)の3団体だ。黍原さんは「お互いに活動していることを報告して『一緒に何かできないか?』と相談中です」と語る。

きっかけは、漁協のNPOが「海の学校をやりたい」と言い出したこと。「三陸ひとつなぎ自然学校」は受入のノウハウを持っているので「じゃあ、一緒に漁業体験のエコツアーを通年でやりましょう」となった。現在、上記2団体によって新しい試行錯誤のプログラムが行なわれている。このように、これまで接点が少なかった山と海の人たちの交流から、新しい取り組みが生まれてきている。また、ある日の会合で黍原さんが「子どもたちの居場所づくりに取り組んでいるんですが、なかなかいい場所がなくて……」と話すと「うちの山使うか?」と言う人が現れた。「思いがけない出会いから、いいフィールドをお借りすることができました。点ではなく面で取り組むということが、とても良い方向に進んでいます」と黍原さんは笑った。

中村さんも「釜援隊が関わることで、市内の団体や人の関係が広がっています」と微笑む。釜援隊は地域をつなぐ接着剤のような存在になりつつある。

地域における絶妙な立ち位置

鵜住居地区復興まちづくり協議会で奮闘する釜援隊の前川智克さん。次代を担う人材として期待されている(上)。前川さんとともに鵜住居地区復興まちづくり協議会の事務局を担当する古川さん。事務所「三陸ふじのくに絆ハウス鵜住居」の管理・運営などに携わっている。釜援隊のよき理解者だ(下)

鵜住居地区復興まちづくり協議会で奮闘する釜援隊の前川智克さん。次代を担う人材として期待されている(上)。前川さんとともに鵜住居地区復興まちづくり協議会の事務局を担当する古川さん。事務所「三陸ふじのくに絆ハウス鵜住居」の管理・運営などに携わっている。釜援隊のよき理解者だ(下)

「うみやま連携協議会」に参加している「鵜住居地区復興まちづくり協議会」。ここにも隊員がいる。前川智克さんだ。各地から復興支援に携わりたいと集まった釜援隊の隊員だが、13名のうち2名は地元釜石の住民。前川さんは鵜住居地区で生まれ育った生粋の地元民である。

外部の人だけでなく、住民も隊員にしたのには理由がある。「地元のことを知り抜いた人でなければ、解決困難なこともあるのです」と中村さん。鵜住居地区は地形の関係もあって、津波により市内でもとりわけ大きな被害を受けた。前川さんは「土地区画整理事業や学校の建設など復旧・復興に向けた課題は今も山積みです。住民じゃなければわからないことが多いので、事情を知らない人が入っても、解決の糸口はなかなか見つからないと思います」と語る。

「自分たちの町は自分たちでつくる」を方針に掲げる「鵜住居地区復興まちづくり協議会」は、住民の意見をまとめた独自の提言書をすでに市役所へ提出している。その進捗状況に関する住民説明会やワークショップを開催する一方、『鵜住居復興新聞』を編集・発行し、震災前の全住戸および関係者に配布している。これから「換地(かんち)」を行なうため、「減歩(げんぶ)」など難しい課題も出てくる※1。また、独自の財源を持たないため、経費の面でも運営は厳しい。

しかし、前川さんは「どうしても鵜住居地区をきちんと復活させたいのです」と語気を強める。「釜援隊に入って復興に携わるのは、たしかにたいへんです。けれど、誰かがやらなければいけないこと。今は見なし仮設に住んでいますが、私もここに戻るつもりですから、そのためにもしっかり取り組んでいます」。

前川さんは35歳。これから復興の中心となる世代だが、「釜援隊の隊員は、ほんとうに頼もしい」と頬をゆるめる。鵜住居地区防災センターのお別れ会や「復興フェスティバル in 鵜住居」には、黍原さんが関わる三陸ひとつなぎ自然学校など、隊員の協力が大きな力になった。

釜援隊は、地域の中で絶妙なポジションにいる。行政の立場ではやりづらいことも釜援隊なら可能だ。山口さんは、一例として女性を対象にした「ワインセミナー」を挙げた。釜石では現在、長崎県小値賀(おぢか)町をモデルにした「民泊事業」※2が進められているが、活動を活発にするには実際に受け入れを行なうことになるお母さん方が元気になることが先決。そのお母さんたちを対象にワインセミナーを開いたところ、想定をはるかに上回る30人以上の女性が集まった。「びっくりしました」と笑う山口さん。「市役所がこうした企画を考えても『復興とワインセミナーがどう結びつくのか?』という声が出る可能性が高い。しかし、釜援隊ならできます。半官半民という立場で、釜援隊にしかできないフレキシブルな対応をしていきたいです」と続けて語った。

隊員は、年齢もキャリアもさまざまだが、復興を願う情熱は共通だ。上下関係のないフラットな組織で、互いのノウハウが混ざり合い、化学反応が起きやすい。NPOとも異なる新しい組織体ではないだろうか。「1つの新しい組織論として見ていく価値があると思います」と語る黍原さん。たしかに、被災地からこうしたしくみが広がれば、日本社会の潮流すら変わる可能性がある。

釜援隊は復興支援員制度に基づいており、「1年更新で最長5年間」と定められている。任期を終えた後も釜石に根を張って生きていく隊員がいるだろうし、釜援隊の役目は前川さんをはじめとする地元の若い世代が引き継ぐはずだ。「僕らが必要なくなったときが、釜石の復興です」と言う中村さん。その日をめざして、釜援隊は今日も走り回っている。

※1 土地区画整理事業では、所有者から土地の一部を提供してもらい、新たに道路や公園などの公共施設を整備する。そのため従前の宅地と従後の宅地では、形や面積、位置などが変わるが、従前の宅地の代わりとして交付された宅地のことを「換地」と呼ぶ。また、換地される宅地の面積がそれまでの面積に比べて減少することを「減歩」という

※2 旅人が一般家庭に泊まり、家族と同じように暮らし、食事をともにすること。郷土料理を教わったり、魚を釣ってさばいたりと、地元の暮らしを丸ごと体験できるので人気が高い

2014年2月取材