◎現地からのメッセージ

: 一般社団法人 おらが大槌夢広場

やじるし

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一般社団法人
おらが大槌夢広場

vol.1
(2012年2月)

更地となった一角に立つ「おらが大槌復興食堂」

更地となった一角に立つ「おらが大槌復興食堂」

被災地ががんばっている姿を見てほしい

  • 一般社団法人 おらが大槌夢広場
  • 復興食堂 ホール店長 岩間 敬子氏 総務担当 上野 拓也氏

町の庁舎が流されるなど甚大な被害を受けた岩手県の大槌町。ガレキが片づけられ、更地となった今は、かつての中心街のおもかげは感じられない。その一角で、地元住民による飲食店がオープンした。「おらが大槌復興食堂」。その名の通り「自分たちの手で」町の未来をつくっていこうという覚悟が、震災を乗り越える希望の灯となっている。

未経験者が立ち上げた手づくりの食堂

復興食堂の入口

復興食堂の入口

特選海鮮丼やおらが丼など。どれもが美味しい

特選海鮮丼やおらが丼など。どれもが美味しい

平日の昼どき。作業服姿の工事関係者や「遠野まごころネット」のビブスを着たボランティアなどが、風よけのためにめぐらされたビニールの入り口をくぐっていく。薪ストーブ2台で温められた店内では「いらっしゃいませ!」と明るい声が出迎えた――。

大槌町の中心市街地を貫く県道280号線。その道路わきに白い三角屋根のテントが建っている。地元の人たちが運営する「おらが大槌復興食堂」(以下、復興食堂)だ。午前11時から午後3時まで、しょうゆダレに漬けこんだイクラとサケのほぐし身が絶品の「おらが丼」、三陸の海の幸をふんだんに使った「特選海鮮丼」、秘伝のタレで焼いたボリューム満点の豚肉がのる「がっつら丼」、大槌地味噌と赤ワインでじっくり煮込んだ「ぜぇーごかれー」の4品などを中心に提供している。

2011年11月11日にオープンしたが、当時はまだ街灯もなく通りは真っ暗。「部活帰りの中学生や高校生が暗い道を通っていました。復興食堂が子どもたちを照らす灯りになれば、という思いもありました」と総務担当の上野拓也さんは語る。復興食堂は緊急雇用創出事業を活用し、スタッフの祖父の敷地を借りてスタート。ところが、今でこそプレハブハウスを使った厨房があるが、当初は食べる場所しかなく、3〜4km離れた調理場で用意したごはんと具材を車で運んで、小さなテントの中で盛り付けていた。「慣れないうえに忙しいから連絡もままならなくて、『ごはんが足りない!』なんてことがよくありました」とホール店長の岩間敬子さんは笑う。

食堂の床も最初は地面むき出しで砂利のまま。雨が降ったらお客さんの足もとに川ができてしまったので、スタッフ総出で木の床を張った。厨房の床をコンクリートで固めたのも自分たちだ。実は、復興食堂の担当スタッフに飲食店の経験者は1人もいない。「だから最初はてんやわんやでした。だけど毎日みんなで『こうしたらいいんじゃないか』と話し合って徐々にやり方を固めていった。その過程が、大変だけど楽しかったんです」と上野さん。まさに手づくりの食堂なのだ。

実際に来て、見てほしいから

復興食堂ホール店長の岩間さん

復興食堂ホール店長の岩間さん

総務担当の上野さん

総務担当の上野さん

復興食堂を運営しているのは、「一般社団法人 おらが大槌夢広場」(以下、夢広場)だ。2011年7月半ばに「このままでは大槌がダメになってしまう」と危機感を抱いた有志が町の未来について夢を語り合ったことからはじまった。代表を務める阿部敬一さんと岩間さんの夫の美和さんは高校の同級生だが、ほかは見知らぬ人同士。しかし町に対する強い思いは一緒だった。18歳から40代前半の人たちが夢を現実にするための任意団体として結成。11月2日には一般社団法人となった。スタッフは14名。ほぼ全員が地元の人間だ。

夢広場が復興食堂を立ち上げたのは、お弁当を買って道端に座り込んで食べている工事関係者やボランティアの姿を見たのがきっかけであった。

「大槌には、本来ならばおいしいものがいっぱいあるのに申し訳ないなって……。なんとか三陸の食べ物を食べてもらいたいと思ったんです」と岩間さん。市場が再開していなかったので、食材の手配すら困難だった。でも、大槌のために働いてくれている皆さんに感謝の気持ちを伝えたい、とオープン当初は赤字覚悟の1食500円で食事を提供していた。

復興食堂以外にも、夢広場はいくつもの事業を立ち上げつつある。その1つが「大槌命と水の復興館」。大槌町の記憶を残し、津波のメカニズムや防災対策を後世に伝えるものだ。復興食堂の脇に、つい最近設置された2階建てのプレハブハウス。そこを整備して今回の被害を伝え、いつどこで起きるかわからない災害の教訓にしてほしいとの思いがある。

しかし、外部から人を迎え入れるには、宿泊場所も必要だ。夢広場は震災以降、休止状態の観光協会に代わる存在として、町役場と提携。再開しはじめた旅館や民宿の情報を集め、観光や視察、研修の受け入れを進めている。「大槌復興ツーリズム」と名付けられたこの事業のきっかけは、大手新聞社が行なった研修だ。ベテラン記者が新人記者に付き添って現地の聞き取り調査をした「生きた証プロジェクト」をサポート。これが大きな反響を呼び、旅行代理店のサポートのもと、2012年2月下旬から有名企業の新入社員などの視察・研修を受け入れはじめた。

そのほか、町役場と連動して大槌町の魅力を発信する「ひょっこりひょうたん島PJT」や地元の特産品を活かした「ご当地グルメの開発」など、事業は目白押し。そのすべてが「実際に大槌町に来て、見てほしい」との思いから発している。

いつまでも被災地ではいられない

復興食堂に加えて「大槌復興ツーリズム」の担当でもある上野さんは「この光景を見て、感じていただくことが大事だと思っています」と語る。大槌町は人口およそ1万5,000人のうち1割弱の方々が尊い命を失い、家屋倒壊率も60%を超える大きな被害を受けた。「だから最初はとまどいがあった」と岩間さんは言う。

「私たちの街がこういう姿になってしまったのを見られることに、最初は抵抗がありました。でも当時のことを聴きたいという人がいるなら私が体験したことを教えてあげたい」

復興食堂は、大槌町の住民とボランティアとの交流の場としても重要だ。道を歩いていたおばちゃんから「これどうぞ」と飴玉をもらったことに感激したボランティアの話を聞いて、上野さんは「ちょっとしたことが喜ばれるのか」と認識を新たにしたという。また、ボランティア同士が復興食堂で言葉を交わすことで、新たなつながりも生まれている。

一方、町民同士が復興食堂で偶然出会って「生きてたんだー!」と泣きながら抱き合う光景もあった。岩間さんは復興食堂がそういう場所になれたことがうれしかったという。復興食堂は、午後5時から9時まで「串揚げ居酒屋」になる。お酒が入れば、本音が出てくる、夢が広がる。今年の6月、「シーサイドタウンマスト」というショッピングセンターの屋上と駐車場で「ロックフェスティバルをやろうよ」という話が出ているそうだ。

「大槌の人たちは元気だし、がんばっていますよ」と言う上野さん。「いつまでも被災地ではない、全国の人たちの行為に甘えてばかりいられない」と言う岩間さん。2人からは「おらが」、つまり自分たちでという覚悟を持ち、しかし明るく元気に一歩ずつ前に進んでいる人間の強さを実感する。東北の厳しい冬はまもなく終わりを告げる。美しい三陸の海と、そこで生きるたくましい人々に会いに行くには絶好の季節だ。

2012年2月取材